鉛のような鉛

もじというのはえいえんでかんじょうというものはえいえんである かいてもかいてもおわらない かんがえてもけつまつがない ぼくらにんげんはゆくすえがない じめんからいってきながれるあさひは とてももじにはならないだろう きみのこともとうてい、かんじょうにはならないだろう もじも、かんじょうも、 それとへいこうした なにかを かくしもっている すべては いきているということ しあわせというのは ほんとうはないものなんじゃないか いまはっきりことばになるかんじょうは ない それともことばとかんじょうのいっちができないだけなのかな、たぶんそうだな、