自分を傷つけるものはたくさんあって、それにちゃんと傷ついているし、ちゃんとそこを見ている、自分を傷つけるものや人、不安にさせる全ては、ちゃんと自分のことを見ていてくれているだろうか、ちゃんと、自分が傷ついているその一点だけを見つめていてくれるだろうか、多分そんなものは、ないし、そんな景色も、ない、そんな人も、いない、それが悲しくて仕方ない、傷つけるだけ傷つけて、不安になった俺をどうして見ていてくれないのだ、という気分になる、傷つけていることを知らないのだ、将又、傷つけているという意識すらないのだ、というのを、そのとき、改めて、認識する、何十こものそれを、じぶんは、ひとつも飲み込めない 飲み込もうとしない 飲み込もうとしないのに、苦しいものは自分のことを追いかけてきて、夢にまで出てきて俺を侵す 、それなのになんで知っていてくれないのだ、子供を怒鳴る親の目つきとか、転んだあいつの泣き顔、ゆっくりと落ちていく陽、サンキャッチャーに集められた光たちを見て綺麗だなと思う自分の心、枯れていく庭、生い茂っていく庭、コンビニの喫煙所でタバコだけ吸って帰る あの 顔、風に揺られる洗濯物、遠くでする家族の声、子供の笑い声、34パーセントの充電、知ってる?子を供えるって書いて子供なんだよ、言葉、行為、

 

自分しか知らないもので、自分しか知らない場所で傷ついて、一人で傷ついて、いる あっけらかんとしている、自分はずっと最低で、ずっとずっと最低で、傷ついていることを示したら傷つけてしまうこと、知っている、示さないこともまた、傷つけてしまうこと、分かっている、どこにも行き場がなくなってしまった、

 

世界のすべては自分の秘密であることを悟った小学六年生、中学三年生の頃、言葉でぶん殴った全てや、それを懺悔した高校一年生、見えなくなったものに気づかなかった高校二年生、

この世界には自分しか知らないもので溢れていて、風の音とか曇った空とか、きっと他人も知っていることを、じぶんだけが知っていると、錯覚する

もしかしたら、うつらうつら書いてきたこの文章たちも、誰かには、バレてしまっているのかも知れない、それでもいい、本当は自分だけが知っているものなんて無いのだろう、それがいい、自分だけが知っていると錯覚するのは苦しい 全部知っていてほしい